第七十三回 電話ボックスから

生まれて初めて学校をサボって余所へ出かけたのは、高校生の時でした。






曇り空の秋の日、朝から学校へ行く気もなくて、少し家で時間を潰してから私は、

電車に乗って街に出て行きました。



浜松の街のバスターミナルでは、周辺から、そして周辺へ、毎日何百本のバスが出ています。


もちろん私もその中の一本に乗って、浜松の南にある高校へ通うのです。


通学時間を過ぎたバス停には、制服を着た人たちの姿はありませんでした。

そのことに少し安心して、いつも乗る所とは違う停留所に向かって、私は歩き出しました。



海に行くのです。




高校も海辺にありました。

でも今朝、私が降り立ったのは、学校からはやや離れた浜辺。

塩辛い風はもう冷たい遠州の空っ風でした。

松林の奥へと私は歩きます。

今日だけは指定のバッグもとても軽いのです。

百歩では抜けきれない林の中には、ビニールで作った青い家が集まっています。

落ちた松葉を踏む足取り。一歩ずつ大きくなってくる波の音。

綺麗ではない曇り空。だんだん見えてくる砂の丘。


ああ、海へやって来た。



その日は、海まで灰色でした。

学校の帰りによく見に行く、金色の水平線の上に乗っかった黒い船の影も、

今はない。ただ砂丘に生えたまばらな草むらに腰掛けた私の前に広がるのは、

よく本の中で見受けられる表現、「鉛」色の海原。

覇気のない波の、ささやかな高さ。控えめな音色と、細かくぶつかってくる砂粒。


「あ」と思ってやって来た海だけれど、本当に来てよかった。

「今日の海は、美しくもなんともない、なんでもない海だ」

という予測が、本当にその通りで、私には、今の海の美しくないのが、とても嬉しかったのです。



すると、


「おーい」


と後ろから声を掛ける人がいました。

振り返ると、大人の男の人が、愛想のいい感じで歩いてきます。


「今日は、学校はどうしたの」


子供と口をきくのに、慣れてそうな男の人でした。


「休みです」


「休みィ?」


私がその通りを口にすると、その人は驚いていましたが、やがてどこかへ行ってしまいました。

また私と私の海に平和が訪れました。

何時間もそこにいました。


何を考えていたのか、今の私には、予想もつきません。

ただ、その時開いていた、初めて買った手帳の質感を、まざまざと覚えているのみです。



やがて、電話ボックスから家に電話を掛けました。

「今日、学校をサボって、海に行った」と言ったら、

母親に呆れ半分で叱られました。


家には、そして学校には、いつもと同じ風景が待っている。

母親が私を叱るのも、いつもと同じ。叱り方も同じ。

学校で見る顔ぶれも、いつもと同じ。教科書も同じ。


でも、と私は、帰りのバスに揺られ、半分夢うつつで何度も窓に頭を打ちながらも思いました。


どうして海が予測どおりで、いつもと同じでも、あんなにいい気持ちになれたのだろうと。





くだんの手帳のその日には、猫の手の小さなシールが貼ってあって、

「私はこの日を一生忘れないだろう」と書き込まれていました。



ところが、今の私は、その日が十月八日だったか、十一月八日だったのか、

はたまた七日だったか九日だったか、とんと覚えていないのです。



また、あの時声を掛けてきた、「夜回り先生」ならぬ「海回り先生」が、

大きなカンバスを抱えていたような気がしないでもありません。


なんだか、海に行きたくなってきました。