第十回 チラシの裏と佐藤友哉

hitomi-hirosuke2005-09-27




執筆中です。



前に描いたWord2002たん共に写真に収まる、という前代未聞の倒錯ショットも視野に入れていたんですが……






三年前の『新現実』に載っていた、佐藤友哉「世界の終わり」を執筆の合間に読書。


マスコミが扱いやすい天才ってこういう人のことを言うのかもしれないなぁ、と思いました。


だって、才能の見せ方がハンパないんだもん! ダダダダダダーーーッ、て、変なことが随所に書いてあって、「おっ!」って感心する箇所と「ん?」と首をひねる難所がだいたい交互。



こういう人がひとつの時代の中で、五十人くらい出てきて、ジェネレーションと呼ばれるものを作っていくのかなぁ、なんて。
や、普通に面白かったですよ。俺にもこんくらいなら書けると読者に勘違いさせる点においては、ある種村上春樹以上の作家志望クラッシャーと言えます。




続けます。





小説を書いていてとても困るのは、私にとってこういう瞬間です。

多少意地悪な読み方をするようになったことじゃありません。私は前からすべてに関してこうです。
要するに、経済的な問題に摩り替えてしまうんですね。
これを読むことによって自分の創作に加えられるのはいいものか、悪いものか。


村上春樹なんかは絶対悪。で、佐藤友哉は安心して読めるから善。みたいな。



やだなぁ。こう、マリオのキノコを、スーパーキノコか毒キノコか画面を凝視して見定める感じ。
別に、誰かと競争してるわけでもないのに。
読書は単なる趣味で、以前は小説を書くのもいい気晴らしだったのに……
ちょっと身を入れて書きはじめた途端、本に対する視線が変わっちゃうんです。
少し違うかな。本を読むという意味が変わるんです。


関係ないかもしれませんが、大学に入って芝居や映画をいっぱい見はじめたのは、小説とは違うジャンルだから、いくら接しても安心だからというのもあるかもしれません。




卒業して何も書かなくなっても、上のような頭で本を読むのは変わらなかったらどうしよう?
本当に好きなのになぁ、本…………。


そしていつか、もっと気を入れて人生を生きはじめた私が、他の人の生き方に触れたとき、同じ状態になってしまったら……?
やだなぁ。かといって無気力になるのも、カッコ悪いしな。



よし、いっそのこと、全方向にアンテナビンビンになれば、何か悟れるかもしれませんね。



他人様の生命を削ってこの世に氾濫するものすべて、あるいは他人様の生命そのものに、人見広介の恐怖が隠されています。





夏の終わりに

夏の終わりに