第八十五回 ドラえもんと中井英夫

hitomi-hirosuke2006-03-29




続・「月蝕領崩壊」の話。






(粗筋や私のスタンスは「備忘録一一 ジギー・スターダスト」(←飛びます)参照の事)





えーと、Bが闘病生活をしていたのは、八十年代初頭。(中井英夫は一九九三年没)


一人で勝手に「昔のできごと」と決め付けて読んでたんですが、
日記に出てくるテレビや他の文化も、微妙に何のことだかわかって、微妙に気持ち悪い
ようなむずがゆいような気持ちにさせられます(例えばデパートの名前。
登場するレストランだって、もしかしたら今もあるかもしれない!)。


したらなんと「ドラえもん」も出てきました。


それについて筆者の心情が吐露される場面もある(この本の中は吐露しかないけど)。

「生きてゐた小平次」は見てないけど、これならリアルタイムだからわかるって事で、
ドラえもんの名前が登場する日記を、ちょっと抜粋してみました。





ドラえもんを好んで見ていたのはBです。
A(中井英夫のこと)は酒とか飲みながら横目で見てたんじゃないかな。
ドラえもんが好きな六十歳男性ってちょっと萌えなんじゃないかと思いましたが、
ここでは関係ないので飛ばします。
下は一九八一年、六月一一日の日記。



Bはずっと「ドラえもん」が好きで、病院でテレビを借りたときも欠かさず見ていたようだ。6時50分からの藤子不二雄劇場。アンパン(※人見注)と同じように軽く考えていた。
しかし昨日、ベッドの向こう側(がいつもあいている)へ横へなろうとすると、「ここはドラえもんの席だ」といった。「ドラえもんなら寝ていい」と。Bのさびしさがやっと判った。
Bものび太のように、いろいろ不可能なことを可能にして欲しいと念じているのだ。前に「宇宙人が来たでしょ」といっていたのもその意味だった。星よりもさびしい、B。


※(この『アンパン』が何をさすのかは不明。
ドラえもんとの関連から「アンパンマン」のことかな? 
Bが特に子供向け番組を好んで見ていたという記述は「月蝕領崩壊」にはなかったが、
そうかな? と思って調べてみた。
すると、アニメのアンパンマンは1988年に放映が開始されていることがわかり、
ここでのアンパン=アンパンマンの線は消えたかと思われた。
しかし、「アンパンマン」の誕生は1968年と古く(当時は「あんぱんまん」とひらがな表記)、大人向け童話だったアンパンマンは1973年、子供向け絵本に登場し、
評判となる。あながちアンパンマンの線もないではないかもしれない。
ちなみに一番上の絵は、大人向けの物語「怪傑アンパンマン」の最終回で、
殺人未遂で投獄されたアンパンマン大人向けにも程があるよ! アンパンマンって前科者なの!? しかもどっかで見たことあるような絵……。)


閑話休題





六月二十七日
(前の文、略)
ドラえもんをついに諦め(だって何にもしてくれないんだもん)、Aにドラえもんになってくれといい、でものんだくれてばかりいるから、ドラでなくトラえもんでしょという。小説書けず書かず、五日め。


十月二十四日
(前の文、略)
ドラえもんのこと、初めて判った。B自身がドラえもんで、もうのび太の世話を見られなくなり、自分自身のドラえもんが欲しくなったんだと。――(後略)






それ違うと思うよ、A。



ドラえもんを小さい頃から見て育った人見広介は、AよりBの気持ちに近づけるような
気がします。
他の人もわかったよね? というか、ドラえもん見てない同世代に会った事がないんで、
強引に話を進めます。



Aは、Bの「ドラえもんになってくれ」という言葉を、
「身の回りの世話をしてくれ」
「不可能を可能にしてくれ=進行しつつある癌を何とかしてくれ」

という意味に取ったようですね。


ドラえもんになじみの薄いAは、「不可能を可能にする」「のび太の世話を見」る、
言ってみれば都合のいい神様のようなキャラとしてドラえもんを認識していたようです。
「何にもしてくれない」というBの言葉が、能力がありながらも怠けてそれをしない、
この怠け者が! などと糾弾しているように聞こえたのも無理はありません。
しかし、ドラえもんを好んで見ていたBの視点に近い私たちは知っています。
ドラえもんが、神通力のあるお手伝いさんなどではないことを。


ドラえもんになってくれ」――これは「万能であれ」という無理難題を押し付けているのではありません。
いじめられて、泣きながら帰ってくるのび太の話を、辛抱強く聞いてくれ、
何がしかの解決策を提示してくれる、
頼りがいのある伴侶になっておくれ、という、
愛情にみちた、それでいて厳しく悲痛ささえ伴う懇願だったのではないでしょうか。
ドラえもんなら寝ていい」というのは、単に「ここに寝てはだめ」と冗談めかして伝えていたのでは、と思います。どうして横になってはいけないのか、
その真意は憶測しかねるけれども。
Aはわかってない。ドラえもんをもっとよく理解していれば、Bの本意を理解できたものを……。
ドラえもんさえ……。


しかし、Bの本意の方が、Aを打ちのめしたかもしれないんですよね。


これ以上苛められたらAは路上で憤死とかしたかもしれないので、
Bの一言に隠された本当の気持ちは、知らないままでいてよかったと思います。


人見広介は、ドラえもんが大好きです。
そしてこんなに悲しい象徴としてドラえもんが用いられた例を、寡聞にして知りません。






おまけ:
ドラえもんの間違った使い方で世界を破滅させないためのガイドブック(←飛びます)



空を自由に飛びたくなる本 (2001年春号) (KAZIムック)

空を自由に飛びたくなる本 (2001年春号) (KAZIムック)